若先生の共育diary♪

もっと楽しみながら学びながら教員したいなぁと思ってblogはじめました。実践もどんどんしていきたいので、よろしくお願いします。

2年目の話(ネガティブをポジティブに帰す時間②)

さて昨日のつづき!

って用事が立て込んで、時間が過ぎてしまったので、手短に。12時が近い‼︎(シンデレラか笑

 

2年目は僕がどん底まで落ちた年です。でも、初めと終わりがよかったので、良しとします!(なんじゃそりゃ)

良しとか、悪しとかないんだろうけど、正直劇的に自分の考えが変わった年でもあります。最初、終わりがいいってことは、下がり続けることはなく希望を持てたということです。

 

何があったかというと、6月頃(今回も特別支援)受け持っていた児童が途中から交流学級(いわゆるクラス)に入れなくなったことです。交流学級の担任の先生と話しても、その子から探っても、何が大きな原因なのかわからなかった。

4月に学校が変わり、若い先生が多い職場で、挨拶もみんな大きく、職員室の空気が明るかった。再開しようとしていた音楽もまた一旦しまい、90日集中して、教育漬けになってみよう。意気込んでいた。交流学級の先生と相談し、授業を受けもたせてもらえるようになった。あの6月の日まで1日1回はしていました。先生にアドバイスももらいながら、どんどん上手くいっていったのを覚えています。なにより、1年目がなかなか実践できなかったから、嬉しかった。楽しかった!自分なりに、その自分の受け持ってる子のいいところも見つけつつ、交流学級の担任の先生と一緒にみんなをつなげて育てていこうという平和的な空間を築けていた。

 

でも、事件が起きてしまった(きっかけははっきりしていないが…)ことで、自分自身も眠れなくなったりして、1年目も満足するようにできなかったのに、2年目もダメなのかと自分を追い詰めて行きました。

その子の心理的な面を支えるどころか一緒に引きこもって行った感じもあります…

ストレスマネジメントの本も読みましたが、心身安定してきたのは、音楽を再度再開してからでした。

 

夏休みも過ぎると、そのことを児童にも話すなど、プラスの空気を作れるようになった。少しずつお互い笑顔も増えた。笑顔が増えるんだ、楽しいこともこれから人生続くんだよと示すために、日々の楽しい様子を写真とコメントで一緒にノートを作っていった。

 

昨日も軸の話をしましたが、こういうことが一つの軸になったように思う。自分が関わることでどういう世界を見せたいのか。それをやってると、自分、その子、周りの先生も自然と動き始めた。たくさん助けていただいた。

 

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なかなか頭の回転の速い子だったので、こういう発想もよく出てきて、何か一緒に作ることが絆を深めました。
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最後一緒に写真をとり、そこに書き込んでくれました。最後、(一悶着ありましたが笑)いい別れ、感動的な別れができました。

 

笑顔が増えるんだ、楽しいこともこれから人生続くんだよ

自分が植えたそのタネが少しばかりでも残ってくれていると嬉しい。

 

※助けてもらったのも、コミュニケーションの賜物で…

その前の職場より4倍以上は他の先生と話していました笑

やっぱり大事ですよ!