若先生の共育diary♪

もっと楽しみながら学びながら教員したいなぁと思ってblogはじめました。実践もどんどんしていきたいので、よろしくお願いします。

1年目のはなし(ネガティブをポジティブに帰す時間①)

今日、学校現場では、多くの学校が、始業式…僕は今週前半は家でお留守番です。。

早く子供たちに会いたいのですが、せっかくなので、過去の記録でも見返しながら、

時には昔の話をしようか」

今だから話せる話。。(上には要点だけまとめました)

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気がつけば、3年前の7日…

支援学級担任という形でも、初めて教壇にたつ。

ドキドキ…でも希望に満ちていたのは覚えている。

 

でも、その次の3月…

一番入っていた学級の子供たちからもらった手紙が、

7割以上は「授業中注意してくれてありがとう」

とかそういう類のコメントだった。子供たちが常にいたし、支えてくれる先生もいて、充実感はもちろんあったが、自分自身疲れ果てていた。※でも、休み時間しか関わってない、他の学年の子が涙ながら手紙渡してくれたこととか嬉しいこともあったよ😃

 

着任式の時、すごい明るく子供達に挨拶しました。(何言ったかは覚えていない)当時30歳くらいの先生から、「すごいねぇ、いきなりあんな、元気に挨拶できて」と言ってもらえたのを覚えています。

 

とりあえず3年生の教室にいたので、子供達と全力で遊んだ。幼い子が特に寄ってきて、のっかかってきたりね…休み時間は1年目は必ず外で遊ぶようにしてました。子供が学校いる時、職員室にいた覚えがない。

そう考えるとやっぱり、先生として鮮度は高かったし、キラキラしてたのだと思う。それはそれで正解だと思う。でも、子供達にこれを伝えたいってことは弱かった。実践したいことはあったけど…

移住して、希望を持ってきた。それを自信持って自己開示する大事だったんだけれど、なかなか自分を出すタイミングを失ってしまった。

具体的には、その支援の必要な児童(病弱だったけれど、それが原因で体調崩すことは1年1度もなかった。夏には寛解したし…)を教室で支援するのだけれど、自分の受け持ってる子は学習的に支援必要としてないし…他の子をサポートする。下手にサポートすると、担任の先生にムッとされる…泣

2学期からは、情緒学級が4学年おったので、そのサポートも多く任され、結構楽しかったです。でも、当日の朝にならないと誰をどの教科見るか教えてもらえないという…戦略的にはしにくかった…

 

教師としてのマインド的には、最初の1年が大事だと言われ続け、今思うと本当にその通りだと思う。でも、やればやるほど空回り…

 

その原因今だから、断言できる。明確に自分はどんなことをするためにここにいるんだと自分の使命をきちんと説明できるくらいでいなきゃいけない。そのためには、他の人の心も動かすくらいでいなきゃ。(情緒の先生がこの単元お願いって言ってもらうとか。途中からはたまにあったけど)

肉体労働、頭脳労働、感情労働というけれど、

その時の自分は肉体労働と頭脳労働の間にいたのではないかと思う。

他の先生に言われた通りに動いて、子供の学習面、精神面を保証する。この通りだと、あんまり自分の個性とか、入り込まないんですよね。楽しみながら、お互い知りながら、学習はできていたけれど…

 

やっぱり自分なりにやってはいました。でも、継続性がないというか、尊敬する先生に言われたように、当時「軸がない」この1言で、いくら断片的に書いても繋がらないんですよね。

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やっぱり自分がこの子と過ごす時間でどんなことをできるんだろうか、与えられるんだろうか。もっと考えるべきだった。

今思い出すと、空き時間に、教室抜け出した一番大変と言われる6年の子がたまたま通りかかって「先生と話す?」と…30分くらい話すと、(意外とって言っちゃダメだけど)可愛らしいんですよ。

お父さんが大工だから、大工になりたい。それで、Offはゲームするとか、結構考えてるんだなぁと…

そんな時は無意識かもだけれど、なぜこの子と話すのかというのは考えてたように思う。

 

最後、支援学級全体のお楽しみ会をやってその時、ギターを持って歌ったのは、一番その1年で、教師の個性を見せた瞬間だったように思う。音楽もやめていた時期だったんだけれど…自分の曲+ゆずの「また会う日まで」(みんな歌えたので)

その時5年だった男の子がすごい心開いてくれたりね!こっちを見る目が、全く違って…スター見てるような笑

 

今の自分ならきっと大丈夫!

いろんな話したいし、先生生きてて、みんなといて楽しいよというのを、一緒活動しながら、伝えたい!!

 

 

 

※闇を探っていくと、コミュニケーションの話、長くなったので、一旦2部制にしました。上のこともしたのこと書いて思い出した上でプラス持って行きました。

リアルな(でも、公表Okなくらいにうまく書いたつもり)話に付き合ってくれる人は読んでください。

 

日々発見の連続なんだけれど、学んでその先が見たいのに自分に実践権がない!見たくないところも見えてきて、でもそれさえも人がいいからか吐き出せない私。(これが一般社会か。で諦める)

3学期になって、同僚の先生とマラソンでて、男性の先生たちだけの飲みの時、やっと吐き出せて、(というかおかしいよねぇってはなしてて)あぁやっぱりちょっと周りの環境変だったんだと気づけた。

 

環境のせいばかりにしてもいけないんだけれど、正直あの時の状況は今の自分でも難しいと思う。

病弱の子の担任で、でもその子は全て交流学級(いわゆるクラスでみんなと)で学んで、僕が担任ってわからないくらいでいて欲しいという保護者の方の要望で…体調管理関わるけれど、こそっていうからあんまり指導にならないし、夏に寛解したし…(それは素直に嬉しいことではあったけど)

入っている教室の先生には、おそらくあまりよく思われてなくて、自分は何をすればいいんだという感じでした。自分なりには精一杯やってたんだけれど、その先生も僕の何かが気に入らなかったんだろうなぁ。。

その先生の良さを見つけて、間接的に伝えたりもしたなぁ…

 

コミュニケーションは大変だと思うけど、やはり重要である。でも、それをしようとしても相手がこちらに耳を傾けないならば、距離置きながら、間接的に探ってみる事も大事。というか負のオーラに巻き込まれて、こちらも子供に負のオーラを与えてしまったらいけない。くよくよするくらいなら、考えるな…それだけは絶対!だから、そんな人もこの世にいて、でも自分は何をできるかって考えるのが一番大事‼︎

 

僕は基本的に人を嫌いになれないので、悩んだ1年間でしたが、これは大きい学びです。