若先生の共育diary♪

もっと楽しみながら学びながら教員したいなぁと思ってblogはじめました。実践もどんどんしていきたいので、よろしくお願いします。

呟く

特に書きたい事がない時こそ…ふと呟く

 

例えば、自分は音楽がすごい好きなんだけれど、

それしかできないと言われたらどこまで続くか考えてみる。

 

そんな決まりがあったら、やらされ感ですぐ飽きるのだろうと思う。

 

ある子供達にとって、学校とは、勉強をしなきゃいけない場所になってるのかなと思う。

だから、何かけんかなど、気にくわない事があれば、「学校なんて嫌い」「もう、いや。帰る」

ってなるんだよなぁ…

 

学びを楽しいと思ってもらうように工夫するのは、教師の役目だと思う。

でも、教師には、学習指導要領という、ここまで伝えなければならない課題もある。

 

それで、教師自身が教えなきゃと気が張って悲しい負の連鎖が起こるのだろうと感じた。

 

先週は菊池寺子屋で、価値語の学習をしていたが、

成長に向かって、言葉をかけるのと、ただ禁止事項として、言葉をかけるのでは、同じ言葉を使っても、伝わるものが違う。

 

学習内容でもそう。実際、特別支援学級でも、勉強に向かう姿勢ができている子には、自然と成長に向かうのがイメージつくから、プラスで声がけして、いつの間にか、やるべき事終えて、余った時間でカルタとかで楽しく学べる。

でも、そうでない子はやるまで持っていって、ここまではいったね!と声がけ的にはプラスのようだけど、結局その時間の課題としてしかこちらも考えられていない。

 

いっぱい人数いる時には、前者のように、健全に学び、ゲームまで入れている子をモデルとする事で、色々身につくって楽しいよね…と示すことも大事かもしれない。

やれば〇〇だよ!と言うのは簡単でも、それで効果があるのか、コントロールのために言うようだったら、姿として、できればこうなんだと示す方が早いし、こっちも気をはらなくて良い。

 

子供って表情とか本当に感じ取る力あるからなぁ…

 

そうしていくうちに、自分から学びを細かくしていく(コミュニケーションゲームでもそうだけど)ことで飽きなく、楽しい学びになるのだと気づくのが理想かもしれないなぁ…

そのためには、基礎ができてきたら、応用は、児童に選択させるなどして、児童自身の自己実現にコーディネートしてあげるのとかも良いかもなぁ…

 

とにかく、書き連ねながら、考えるような形になりましたが、答えのない対話的な学びに向けていくのが大事だと思う。「学校で教えている知識は、こう言う風に、考えあうのに使えるよね」「みんなで学んだら、新たな発見があるよね」「先生も〇〇君のおかげで学べたよ、ありがとう」こう言うゴールを思い描きながら、僕自身学んでいこう。

 

教えなきゃと言うよりは、どう一緒に学ぼうか!これを胸に当てて、教壇に立ちます。